渋谷暮色
渋谷はすっかり変わってしまいました。渋谷はその名の通り深い谷間に中心部の渋谷駅があって、まるで古代ローマの闘技場のように、周りを商業施設が取り巻いています。僕が上京した1968年には渋谷から二子玉川を走った路面電車が取り外されて、高 ...
鏡山

九ハ会長からは恫喝された上に、「私が一番好きな人々は中国人です」などとついつい本音をコメントされました。流すべく血液はもう一滴も残っていないのに、コロナの感染者数は増え続けて、国民からも政党からも見放される結果となりました。
レイテ戦記

レイテ島はフィリピン諸島に属する島々のひとつです。
サトウキビとココナッツが特産のいたって平和な南の島ですが、かつてここで日本軍と米軍の苛酷な戦闘が展開されました。
僕がサラリーマンだった1970年代には、戦争映 ...
さらば、わが『りき』

繰り返される緊急事態宣言で、居酒屋は大変ですね。もう10年前に書いた文章ですが、僕らが愛した浅草の名物居酒屋について聞いてください。
浅草ので生活を始めた頃だったので、1994年のことだったと思います。地元の人が
コールドミート

僕はいわゆるコールドミートが好きです。海外に行ってアパートメントを借りてぽんたと自炊生活をしても、コールドミートは強い味方です。あったかい肉料理も勿論好きですが、ハムとかサラミとかソーセージとか冷めた薄切りのローストビーフとかコンビ ...
中華料理

ひとり暮らしの時期に料理を始めました。 指南書はオレンジページの『お料理一年生』で、新生活をスタートする女性への入門書です。 野菜や魚の下拵えをマスターして、友人を招いては批評をしてもらいました。何事も客観的評価が不可欠ですよね。日 ...
椿 三十郎

1962(昭和37)年の夏は、僕は小学生でシュノーケリングに熱中。唐津市内の海水浴場近辺では飽き足らず、自転車やバスで遠くへ出かけたりしていました。 玄海町の岬には澄みきった蒼い空や、透明な海がひろがっていました。竹の末端に自転車の ...
運命(さだめ)の糸

高校生になった時、祖母がギターを買ってくれました。 洋裁師の母が厚手の布でケースを縫ってくれ、見せびらかしに学校へ持って行ったら、「なんか演ってくれんね」と同級生たちに請われて、その頃流行っていたブルーコメッツの『ブルーシャトー』を ...
天国と地獄

「いい映画は解りやすい」黒澤明監督の言葉です。
『天国と地獄』は1963年に公開された大ヒットサスペンス映画です。 当時僕は中学生で、映画館の出入りは校則で禁止。観たい映画が観れず、指をくわえて看板やポスターを眺めて ...
地球温暖化

東京をはじめ近県では、コロナの感染者数が政府の期待通りには減りません。 一年以上の穴居生活に疲れ、あるいは慣れてしまい、週末になると浅草はかなりの人出です。緊急事態宣言も解除。代わりに医療従事者へのワクチン接種は始まっています。 「 ...