父のちゃんぽん

2021年7月11日

ちゃんぽん

 徐々に暑くなってきました。これからはマスクでの外出が辛くなります。遅々として進まなかったワクチンの接種も、やっと予約が取れるまでになりました。この便りが皆さまのお手元に届く頃には感染者も激減していて、オリンピック気分に浸れるといいですね。

 今号はちゃんぽんに纏わる話です。今ではちゃんぽんチェーンのリンガーハットがあって、ちゃんぽんは勇躍全国区になりました。僕が上京した四十年前には、都内の中華店には豚骨ラーメンは勿論、ちゃんぽんなどはまるで異星人の宇宙食扱いでした。
 ちゃんぽんとは何か? 諸説あるちゃんぽんの由来を「あるある劇場」で類推します。ジャラジャラジャーン!(ここで京劇風のドラが鳴る)
 むかし中国の福建省から来日して、長崎の中華街で働いていた陳さん(仮名)は、いつも仕事の合間に板場料理をチャカチャカと手早く作ります。炒飯の時もあれば麺類の時もあります。今日はスタッフたちに評判の良いちゃんぽんです。ちゃんぽん特有のボソッとした舌触りの中太麺は、陳さんの故郷の母さんの味で、「唐あく」という独特のかん水を使ったもので、現在でも福建省の福清市では類似の麺料理があるそうです。「かん水」ってご存知ですよね。塩水のことです。
 さて腹ペコの陳さんは豚肉の切り落としやら野菜やら蒲鉾やら魚介類やら、厨房にある食材を混ぜこぜ(ちゃんぽん)に中華鍋で炒めて、鶏がらスープを無造作に加え、煮立ったら麺をそのままぶち込んで、ハイ出来上がり。野菜豊富で栄養満点です。やがてそれが評判を呼んでメニューに加わりました。陳さん実在の真偽はともかく、奇しくも日中戦争が齎した味の交流だったのでしょう。 
 ところが明治初年の長崎では「支那饂飩」の名称で親しまれていたという説もありますから、もっと歴史が深いのかも知れません。「遣唐使」の御世だったりして・・・聖徳太子もちゃんぽんを召し上がった?

 僕の少年時代、唐津にも勿論ちゃんぽんがありました。豚骨ラーメンみたいに専門店はなかったけれど、どこの食堂にも壁に貼り出されたメニューからちゃんぽんを容易に見つけることができました。母と一緒にいろんな店のちゃんぽんを食べました。ラーメンより平べったいドンブリに炒めた野菜をはじめとする具材がてんこ盛りで、子供に一人前は多すぎるので、一杯のちゃんぽんを母と分けて食べました。愉しみは、残ったスープと具材を母が「後はおあがり」とドンブリごと僕に渡してくれることです。具材のかけらと美味しいスープが絡んで、ちゃんぽんで一番美味しい処です。本場長崎でも有名店でちゃんぽんを食べてみましたが、案外さっぱりとした薄味です。後で気が付いたのですが、唐津のちゃんぽんは豚骨スープがベースで味がこってりしているのですが、本場のそれは鶏がらスープでした。

 東京で就職してからは渋谷の路地裏や並木橋やら世田谷通りなどにちゃんぽんを出すお店をみつけて、よくお世話になりました。いずれも長崎風だったのですが浅草に移転してからは、奥浅草に「博多」という餃子・ちゃんぽん・皿うどんの美味しい店を発見して、加奈を伴ってよく通いました。それぞれを一人前ずつ注文して、酎ハイを飲めばもうすっかり博多屋台です。店名に偽りなく、僕の好きな豚骨スープのちゃんぽんでした。「でした・・・」と過去形なのは、数年前に閉店してしまったからです。残念です。寡黙な初老のご主人と、若くて水商売風の美人女将さんとは歳の差カップルでした。ワケ有りだったのでしょう。
 合羽橋道具街でちゃんぽんを盛るのにちょうど良いドンブリを手に入れたのをきっかけに、自分たちで調理することにしました。幸いにも最近ではスーパーで袋入りのちゃんぽんセットを売っています。有名店のブランドちゃんぽんさえ見かけます。いい時代になりました。上京当時中華屋さんの醤油ラーメンが食べられなくて、札幌ラーメン店に飛び込んで、塩とバターのタンメンで我慢した昭和の頃からは隔絶の感があります。  

 それでは二人前のちゃんぽんを作ってみましょう。スーパーで売っているパックのちゃんぽんは大抵二人前です。用意するものは中華鍋と濃いめにとった鶏がらスープ(豚骨スープがベスト)あとは魚介類ですが、僕らは烏賊・蝦・浅蜊の冷凍ミックスを買い置いています。冬季なら牡蠣を使うのもいいですね。もしスーパーで鶏ガラが手に入らなければ、鶏手羽のパックを買うといいでしょう。具材はキャベツ、玉ねぎ、豚肉の切落とし、肝心なのはスボ蒲鉾ですが、この辺りでは手に入らないのでさつま揚げで代用します。モヤシを足す時もありますが、市販の一袋では多すぎるので二人前の時は敬遠します。いずれにせよ具材は多すぎないのがコツです。パック内のスープを鶏がらスープで温めながら溶いておきます。あまり沸騰させない方がいいでしょう。因みにスボ蒲鉾はピンク色で、少しネットリしていて、藁スボに包まれています。郷土の味と言ったところでしょうか。子供の頃はこの藁スボをストローがわりにして、シャボン玉を飛ばしました。唐津ではスボ蒲鉾はどこの食品店でも、ちゃんぽん麺と共に買えました。余談ですが、すき焼きのあとの鍋にちゃんぽん麺を入れてシメにしました。
 調理に戻りますね。中華鍋を熱して食用油を加えて刻んだ生姜と葱を炒め、香りが出てきたら具材を投入。しんなりしかかったら(このタイミングが肝心)スープを加えて強火にします。ひと煮立ちしたらちゃんぽん麺を加えて、中華調味料で味を整えたら出来あがりです。麺と具材入りスープを一緒に馴染ませるのがちゃんぽんの真骨頂です。先に麺とスープをドンブリに移し、後で具材をこんもりと盛りたてます。胡椒をちょっと振ったら 「どうぞ召し上がれ。」

 唐津での少年時代に戻ります。僕の父の信三郎さんは富山の農家に生まれ、尋常小学校を出たらすぐ大阪の船場へ丁稚奉公に出されました。農村の長男以下に生まれると、口減らしのために家を出される。昭和初期はそんな時代でした。やがて徴兵され満州に出兵。太平洋戦争が始まると南方に転戦しました。足にはその時受けた傷があります。終戦後は京都で仕入れた反物を売り歩き、その頃はまだ炭鉱景気が残っていた唐津に流れ着き、京町に「花柳」という店を出すまでに成功しました。 出戻りの母と付き合って僕が生まれ、すったもんだの末に僕が小学校六年生の頃、唐津で知り合った若い女性と大阪に出奔しました。
 その少し前に父は栄町に食堂を出しました。母に言われて様子を見に行きました。栄町は松浦川の河口にあった競艇場の客が目当ての飲み屋街ですが、競艇のない平日はひっそりとして人通りもありません。潰れた店を居抜きで借りたらしく屋号もそのままで、階下はカウンターだけの薄暗く辛気臭い店舗で、その二階には六畳ほどの畳部屋があって、父はここでその女性と所帯を持つつもりだったのでしょう。
 「ちゃんぽんを食べていけ」と勧められたのですが、父が料理をする場面を見たことがない、また素人がにわかに料理人になれるほど世の中は甘くない、第一に出店の動機が不純だ。と上記の理由で固辞したのですが、仕方なくご馳走になることにしました。辿々しい手つきで野菜を切ったり、それを炒めたりする父がなんだか哀れに思われました。父のちゃんぽんにはスボ蒲鉾の代わりに竹輪の輪切りが入っていました。
具材は炒めすぎ、麺はスープを吸いすぎてゾロっとしています。
半分程は我慢して食べて、「お腹が空いてないから・・・」と父のちゃんぽんから逃げました。
「どうだったの?」
と母に聞かれて、
「不味かった・・・」
と正直に答えると、ミシンを踏んでいる母の横顔がフッと嗤ったように見えました。

Posted by hide-san